もうすぐ学校の夏休みが始まりますね。
もうすでに始まったところもあるのでしょうか?
夏休みと言えば海や山にキャンプに花火。
子どもたちにとっては楽しみなことがたくさん!
・・・では済まされないのが「宿題」の存在です。
学校や担任の教師によって内容や量は様々だと思いますが、算数や漢字のプリント、日記に自由研究、その他いろいろ。
「こんなに宿題があったら休みじゃないじゃない!」と思うほどたくさんの宿題が出されます。
その中でも私が子どもの頃、大の苦手だったのが「読書感想文」です。
私は読書が好きな子どもでしたし、大人になった今でも時間を見つけては少しずつ本を読むのが楽しみです。
本を読むのは昔から変わらず楽しいです。
そんな私がなぜ「読書感想文」が苦手だったかというと、本を読む目的が「楽しむ」ことではなく「感想文を書くために読む」ことだったからです。
感想を書くために本を読む。
なんというか「義務感」のようなものを感じてしまい、本を読むことが苦痛になってしまうんですよね。
読書はもっと自由なものだと思うのです。
好きなときに好きな本を読む。
読んだ後は「面白かった!」と思えればいい。
私の本との向き合いはこのようなスタンスです。
現代はSNSやブログなどで本の解説や感想を載せている方々もいらっしゃいますが、それはそれでその方々は読書を楽しんでいるのだと思いますし、私もいろいろな方の解説や感想を読むのが楽しいです。
読書の楽しみ方は十人十色だと思います。
ただ、「感想文を書きなさい」と子どもたちに読書を強要するのは何か違うのではないかな? と私は考えます。
読書は素晴らしいことだとは思いますが、趣味は人それぞれ。
読書が好きな子どももいれば苦手な子どももいます。
大人たちは本を読む大切さを伝えたいのでしょうが、読書に限らず、趣味に関しての押し付けは良くありません。
読書が好きな私でも、学校で推奨される本を無理に読まされ感想を書かなければいけない、ということはとても苦痛でした。
読書感想文を書くために「読まされる本」は私にとってはとてもつまらないもので、ほぼ流し読みのうえ、ろくな感想を書けたためしがありませんでした。
これでは本末転倒ですよね。
あともう一つ、私が疑問に思うのが、「読書」というと「小説を読むこと」と確定されてしまっていることです。
私の娘が小学生の時、一時期、学校の図書室のボランティアに参加したことがあるのですが、その時にいらっしゃった司書さんがこう仰っていました。
「読書というと小説のみにとらわれがちですが、図鑑を眺めること、漫画を読むこと。これらもれっきとした読書です」
という言葉が印象的でした。
まさに私も同感でした。
しかし、読書感想文で求められるのは「小説の感想」です。
本来の「本」を読むことの楽しさに縛りがかけられているような気がします。
読書の意味をもっと幅広くとらえても良いのではないか? と思います。
楽しんでこその「読書」です。
といろいろ私の考えを綴ってきましたが、読書感想文に限らず、夏休みの宿題自体を無くしてほしいのが本音です。
何のための長期休暇なのでしょう?
宿題があるばかりに、ある意味、普通に学校へ通っている時より忙しい、という状況に陥りがちです。
子どもたちにはたくさん遊んで休みを楽しんでほしいです。
いつか「夏休みの宿題」というものが無くなればいいなぁ、と思う私でした。