猫を見ながら酒を飲み日々思うこと

  日常思うこと、特にメンタル、親子関係、人間関係についてを綴っています。人生を豊かに楽しくすることを探求していきたいです。

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会食恐怖症を体験した時の話

この記事をご覧になってくださっている方々で、「会食恐怖症」という言葉を聞いたことがある方はいらっしゃるでしょうか?


実は私は「会食恐怖症」を経験したことがあります。


「会食恐怖症」とは何か?

を、簡単に説明しますと、社会不安障害の一種で、


「誰かと食事をすることが出来ない、苦手」

「誰かと食事することへ強い不安に襲われる」


という精神疾患の一つです。

この「誰か」は他人だけではなく家族も含まれることがあります。


症状の重い方になると、吐き気やめまいをもよおしたり、パニックに襲われるなど、食事どころではなくなってしまいます。


原因として考えられるのは、子どもの頃に家庭や学校で無理やり完食を迫られたり、家庭内に何らかの問題があり食事を「楽しむ」ことが出来なかった、または苦痛だった経験をしたことなどが挙げられます。

傾向として自己肯定感の低い人がなりやすい、との見解もあります。

 


私は中学生の頃に発症しました。

学校の給食が一切食べられなくなってしまったのです。


自分が食事をする姿を見られることが恐怖で、牛乳を一口二口飲むのが精いっぱい。


当時、両親が共働きだったため、朝食も夕食も一人で食べることが多かったので、家での食事は普通に食べることが出来ていました。

 


私の場合、原因として考えられるのは、子どもの頃の食事に問題があったと思われます。


学校ではとにかく「絶対に完食しろ」との抑圧。

家庭での食事は、当時は専業主婦だった母親が食事を用意していたのですが、母親は料理が苦手、というよりとても下手な人で、私にとって「食べることは耐えること」でした。

少しでも「美味しくない」と言うと、「文句があるなら食べなくていい!」と怒鳴られたり、ある時は目玉焼きが焦げていたのでそれを指摘すると、やはり同じく「食べなくていい!」と叩かれたりもしました。

残すと当然怒鳴られ、私は食事が苦痛で仕方がなかったのです。

美味しくないものを無理やり口に押し込んでいました。

「食事を楽しむ」とはどういうものなのか、私にはまったく理解出来ませんでした。

中学生になった頃には母親も働き始めたので、食事は出来合いのお弁当やお惣菜、菓子パンが多くなりましたが、正直それらは母親が作る料理よりもはるかに美味しく、家ではなんとか食事をとることが出来ていました。


しかし、学校での給食が食べられなくなっていました。

当時の担任の教師は、幸いにも完食を強制してくる先生ではなかったので、そこは助かっていました。

私の場合は学校という場所自体が苦手でしたので、それも一つの要因だったと思います。

 

高校生になり、私の会食恐怖症は回復しました。

きっかけは学校での休み時間、クラスメイトたちと一緒にスナック菓子を食べたことです。

その時に何故かは分かりませんが、同じお菓子なのに家で一人で食べているより、クラスメイトたちと一緒に食べた時に「とても美味しい」と感じられたのです。

誰かと一緒に食べるということは、こんなにも美味しく楽しいものなのか、とある種の感動を覚えました。


それからは誰かと食事をすることへの苦痛もなくなり、学校帰りにクラスメイトたちと一緒にファストフード店へ行ったり出来るようになりました。

家では自分で積極的に料理をするようにもなりました。

美味しいものが食べたいのなら自分で作るのが一番良いと考えたからです。

 


「食事を楽しむ」とは生きていくうえでとても大切なことだと実感しています。


無理に嫌いなものを食べなくてもいい。

その日の体調もあるので完食を目指さなくてもいい。

自分が美味しいと思うものを楽しんで食べる。


私は食事の大切さを身をもって体験したので、娘には同じような思いはしてほしくないと考え、出来るだけ美味しい料理を作り、嫌いなものは無理に食べさせない、または工夫して食べやすくする。

残しても叱らない。

おしゃべりしながら楽しく食事をすることを心掛けました。

幸いにも娘は私の作る料理が好きだと言ってくれるので、とても嬉しいことです。

 

「食べることは楽しいこと」がもっと推奨される世の中になってほしい。

そう強く願わざるを得ません。

どうか私のように食事が苦痛だと思う人が少しでもいなくなりますように・・・。

 

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