猫を見ながら酒を飲み日々思うこと

  日常思うこと、特にメンタル、親子関係、人間関係についてを綴っています。人生を豊かに楽しくすることを探求していきたいです。

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教師には気に入られなければならない?

私が中学生のときのお話です。

もう30年近く前のことですが、いまだに納得出来ない、というより理不尽な目にあったことがあります。

通知表の5段階評価です。

教科は体育。

 

初めにお伝えしておくと、私は決して運動神経が良いほうではありません。

いえ、むしろ運動音痴です。

小学生の頃から体育が苦手で、運動会なども大の苦手でした。

どのくらい運動音痴かというと、体育の授業で馬飛び(今の時代にもあるのでしょうか?)をしていたら、頭から床に落ちて顔面を強打。

歯は欠けるし鼻血は止まらず、担任の教師をひどく焦らせたことがあります。

また下校中、クラスメイトと一緒に走っていたら何もないところで躓き、これもまた顔面から転んでしまい、当時買ってもらったばかりの眼鏡を壊してしまったこともあります。

さらには運動会の騎馬戦で、私は馬の後ろ側で騎手を支える役でしたが、みんなの走るスピードについていけずに転倒。
手がふさがっていたため、頭から地面に落ちて強打。
一瞬、気を失いました。

気が付けば私の周りには、心配してくれたクラスメイトや教師が集まっていました。
その時の騎馬戦は私が原因で中止される始末。
その後、脳神経外科へ運ばれました。

とまぁ、このように今となっては笑い話にしかならないほどの私の運動神経のひどさ(笑)

それでも小学生の体育の評価は普通でした。
保健体育で点数を稼いでいた感じですね。

 

そして中学1年生の体育の5段階評価。

なんと「4」。

それこそ保健体育での成績を見てくれた教師だったのでしょう。

あとは運動が出来ないなりにも努力はしていましたから、その辺りをきちんと評価してくれたのだと思います。

3年生のときも評価は同じく「4」でした。

 

問題は2年生のときです。

評価は「2」、さらにマイナスをつけられました。

私としては中学3年間、同じように行動していましたが、なぜこのように担当の教師によって評価が分かれてしまったのか?

 

2年生のころ、クラスメイトでやたらと私に敵意を向けてくる女子がいました。

私はさまざまな嫌がらせをその子から受けていました。

その子はバレーボール部に所属しており、その顧問が2年生の体育の担当でした。


あまりこういうことは考えたくありませんが、今思えば、その子から教師に何か進言があったのかもしれません。

あくまでも想像の域ですが、恐らくそのようなことがあったのだと思います。

私自身もその教師が苦手でしたし、教師も私のことが気に入らなかったのだと思います。


その結果が「2 マイナス」の評価へつながった。


後にも先にも学校の成績で「2」と評価されたのは、この中学2年の体育だけです。

当時の私はとてもショックを受けました。

しかし3年生では元通りの「4」の評価。


まったく同じことをしていても、教師によってこれだけ評価が分かれる。


大人になった今でも、当時のことは納得出来ません。

 

学校の成績の評価は、「いかに教師に気に入られるか」が重要なのだと悪い意味で学びました。

教師も人間ですから、完璧ではありません。

正直、贔屓にする生徒、気に入らない生徒もいるのだと思います。

そしてその私情をコントロール出来ずに成績に反映させてしまう。


本来ならこのようなことは、あってはならないことです。


また部活に入っているかの有無も評価につながっていましたね。

運動部に所属している生徒は「5」の評価が優先的につけられたり、吹奏楽部に入っていれば音楽の評価が「5」になったり。


結局のところ、教師が平等に公平に生徒を評価するなどあり得ないのかもしれません。


少なくとも私はそれを実体験しました。

そして教師への不信感が芽生えました。


教師に気に入られなければ、どんなに頑張ってもまともに評価してもらえない。


こんなことが現実の教育現場でまかり通っているのです。

 

ですから私は教師だけではなく、「学校」という場を信用していません。


教師というのは、小学生にあがってから中学、高校、大学、そして教師として学校へ勤める。

「学校」という閉鎖された空間でしか生きてこなかった人たちです。

そういった人たちが支配する場所が「学校」です。

よくよく考えると恐ろしいことですよね。


もちろんなかには素晴らしい先生も存在します。

すべての教師が理不尽なことをしてくるわけではないのは重々承知しています。


それでも私のような経験をすると、学校というものが信じられなくなってしまうのです。

 

今の時代でもこのようなことは起こっているのでしょう。

時代が変化しても人間の本質はあまり変わりませんから、もしかすると永遠に続く問題なのかもしれませんね。

 

それでも、私のような目に遭う子どもたちが少しでも減ってほしいと、願わずにはいられません。

 

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