猫を見ながら酒を飲み日々思うこと

  日常思うこと、特にメンタル、親子関係、人間関係についてを綴っています。人生を豊かに楽しくすることを探求していきたいです。

スポンサーリンク

猫見酒のうつ病体験その9 ~生きることへの希望~

前回の記事はこちら

www.nekomizake.com

 
~生きる意味~

「生きることは耐えること、苦労すること」

「楽しむことは悪」


このように教えられてきた私は、生きることが苦痛で、常に「どうしてこんなに苦しいのに生きなければならないのか?」と考えていました。

「生きる」をテーマにした本もいろいろと読みました。

しかし、どの本にも私の求める答えはありませんでした。


けれど、ある時、私は気づいたのです。

娘と一緒に過ごす時間は楽しい。

娘は多趣味で好きなことがとても多い子です。
時々、私にも「これ、面白いから見てみて」と勧められ、それが本当に面白く、私も娘一緒に同じ趣味にはまったりしました。

「好きなことがあるというのは、こんなに人生が有意義になるものなんだ」と思うようになりました。


そして生きる意味を知りました。


「人生は楽しむためにあるんだ」

「苦しむために生まれてきたわけじゃない。楽しむために生まれてきたんだ」


これまでのもやもやした疑問が一気に晴れていくようでした。
娘のおかげで、本当の生まれてきた意味を知ることが出来たのです。

それから私はほんの少しずつですが、「生きる」ということが楽になりました。

積極的にいろんなものを好きになって楽しむ。

私にとってその感覚はとても新鮮なものでした。


~これまで生きてきた意味~

これまでうつ病を患うほどつらい人生を送ってきたことに対して、無駄だったとは思っていません。

両親を反面教師とし、私のような自己肯定感の低い人間にはなってほしくないと、私なりに娘を一所懸命に育ててきたつもりです。

たくさん抱きしめ、嬉しいこと、楽しいこと、悲しいことに共感し、出来たことは一緒に喜び、褒めるように心がけて娘を育ててきました。

私は不完全な人間ですから(親の失敗作だと思っています)、いつでも完璧に出来るわけではもちろんありませんが、それでも私なりに娘のことについては精一杯頑張ってきたつもりです。

私のようになってほしくない。

私のように苦しい人生を送ってほしくない。

娘を私と同じ思いをさせないために、私は苦労してつらい思いをしてきたんだ。

そう思えるようになりました。

娘が私のもとへ来てくれるまでは、とても長く苦しい人生を送っていましたが、それにも意味を見出せるようになったのです。


~変わらない自己肯定感の低さ~

それでも私の自己肯定感の低さが改善されたわけではありません。

時々ふと「死にたいな」と思ってしまうこともあります。

でもそれは、うつ状態だったときの「死にたい」とは別のもので、今はすぐに回復します。
これについては、正直もうあきらめています。


「自己肯定感が低いので悩んでいます」と病院で相談したり、ネットで調べたりすると必ず出てくるのが、「自分で自分を褒めてあげましょう!」なんですが、それを聞いたり見たりする度に、「そんなに空しいことってないよなぁ」と思ってしまうんです。
やはり、自分以外の誰かに褒められたり認められたりしないと、自己肯定感は上がりません。

最近では、とりあえず自己肯定感が低くても、いろいろ楽しんでいるし、生きることを楽しめているからそれでいい、自己肯定感が低いのも含めて私なんだと思えるようになりました。


そして何より、こんな私でも、いなくなったら多分、娘を悲しませることになる。

娘と一緒に楽しく生きていきたい。

そう考えられるようになったのです。

若いころは、長生き願望などまったくなく、早く死にたい、などと思っていましたが、今は楽しいこともたくさんあるし、元気に長生きしてみたいな、とほんの少しずつですがそう思います。


「生きることへの希望」

それが少しずつ見出せるようになって、心がずいぶん軽くなりました。


「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
なんて言いますが、生きていれば苦労なんて黙っていてもしなければいけない場面はたくさんあります。
自らすすんで苦労する必要なんて、これっぽっちもありません。


「楽しいこと、好きなことをすすんでしよう」

娘にもそう言っていますし、自分にもそう言ってあげたい。

そうしたほうが、より良い豊かな人生が送れます。

「死にたい」なんて思ってほしくない。

「生きていて楽しい」と思ってほしい。


「生きることは楽しむこと」

これを心にとめて、生きていきたいと思います。


続く

 

スポンサーリンク