以前から疑問に感じていたことなのですが・・・。
大人が大人に暴力をふるうと犯罪になるのに、大人が子どもに暴力をふるうと「体罰」で済まされてしまうのは何故でしょうか?
学校での体罰は法律で禁止されているのに、一向になくなる気配がありません。
依然として教育現場での体罰は横行しています。
家庭内における親から子どもへの体罰も「躾」と称して黙認されている状態です。
子どもへの暴力はマイナスにしかなりません。
身体だけでなく、心にも深い傷を負わせることになります。
断言しますが、暴力は1ミリたりともメリットは生み出しません。
こうはっきり言えるのは、私自身が母親から暴力で支配され、学校での体罰を受けた経験があるからです。
学校では忘れ物をしただけで竹刀で叩かれる、頬を平手打ちされる。
少しでも校則違反をすると殴られる。
確かに忘れ物や校則を守らないのはいけないことなのかもしれませんが、暴力をふるわれるまでのことなのでしょうか?
「次からは気を付けてね」と言葉で諭すだけで済む話だと思います。
教師たちは一度も忘れ物をしたことがないのでしょうか?
自分が過ちを犯したときには、自分も殴られてもいいと思っているのでしょうか?
家では親からの暴力。
少しでも母親の機嫌を損なうことをすると、鼻血がでるまで殴られる。
自分の意見を言っただけで「口答えするな!」と殴られる。
「痛い思いをするのが嫌なら言うことをききなさい!」
「言うことをきかないと殴るよ!」
これは躾ではなく、ただ子どもを支配したいがための脅しです。
私は、ただただ母親からの暴力に怯え、常に母親の顔色をうかがい、大人しくしているしかありませんでした。
母親から言われたこと以外のことをすると殴られるので、言われたことしか出来ない子どもでした。
子どもに暴力をふるう大人たちの常套句。
「口で言っても分からないやつには、体の痛みで分からせるしかない」
子どもはきちんと口で言えば理解します。
大人が思っている以上に子どもは賢いです。
ただ、当然ですが一度では出来ず、何度も失敗しながら学びます。
大人でも一度で完璧に出来る人なんて、ほとんどいません。
それを暴力で解決しようとするのは、何度も教えることを放棄した、大人の根気のなさです。
暴力で支配することのデメリット。
それは、子どもに正しい善悪の区別や道徳が身につかない、ということです。
「〇〇はこうだから、悪いことなんだよ」
「〇〇はこうしたほうが良いんだよ」
「これはいけないことだから、やめようね」
このようにきちんと説明せずに、すぐに暴力をふるうと、子どもは「悪いこと」だからではなく、「殴られるのが怖い」から大人のいうことをきいてしまうようになります。
これでは、子どもへの教育や躾の正しい意味をなしていません。
そして、「悪いことをした人間には暴力をふるっていいんだ」という誤った認識を、子どもに植え付けてしまいます。
もう一つのデメリットとして、暴力をふるわれた子どもは「心にまで傷を負う」ということです。
傷つくのは身体だけではありません。
自尊心まで傷つけられてしまいます。
「自分は殴られて当然の人間なんだ」と自己肯定感が極端に低くなってしまうのです。
そして、その子どもが大人になったとき、他人へ攻撃的になったり、うつなどの心の病を患うことも多くあります。
このように、「体罰」という名の暴力は、なんのメリットもないのです。
エスカレートすると「虐待」になってしまう恐ろしいことです。
子どもたちの健やかな成長のためにも、大人からの暴力を無くさなければなりません。
ちょうどこの記事を書いているとき、あるニュースが飛び込んできました。
「児童虐待の防止のために、親による子どもへの体罰を禁止にしよう」
と、児童虐待防止法と児童福祉法の改正案が出されたのです。
他国ではすでに家庭内における親から子どもへの体罰を禁止されている国もあるので、私としては「やっと日本もここまできたか・・・」「早く成立してほしい」との思いが強かったのですが、驚いたのは世間の反応でした。
「体罰は必要でしょう?」
「躾が出来なくなる」
「時には叩いて教えることも大事」
多くの人がこのような意見を持っていることに愕然としました。
「暴力」でしか子どもを教育することが出来ない。
そんなことは間違っています。
子どもに何度も諭し教育する。
その根気が大人に足りていないだけです。
「躾に体罰は必要」という大人にかぎって、ただの親のストレス発散のために子どもに暴力をふるう場合がほとんどです。
子どもを「暴力」から守るため、一刻も早く法の改正を願っています。
世の中のすべての子どもたちが、尊重され愛され、健やかに育っていけますように・・・。
そう強く願わずにはいられません。