猫を見ながら酒を飲み日々思うこと

  日常思うこと、特にメンタル、親子関係、人間関係についてを綴っています。人生を豊かに楽しくすることを探求していきたいです。

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共感能力について

大切な家族や友人が嬉しそうにしていると、なぜかこちらも嬉しくなってくる。そんな気持ちを抱く人は多いのではないでしょうか。

例えば大切な人へのプレゼントを選ぶ時。
「何を贈ったら喜んでくれるかな?」といろいろと選ぶのは楽しいですよね。相手が喜んでくれる顔を想像しながらの買い物は、贈る側としてもとても嬉しいものです。悩みながらの買い物、嬉しい悩みですよね。そして大切な人がプレゼントを受け取ってくれたとき、笑顔を見せてくれたら、こんなに喜ばしいことはありません。
料理もそうですね。食べてくれる人に喜んでもらえるように試行錯誤しながらも少しでも美味しいものを作ろうと頑張る。食べてもらって相手が「美味しい!」と言ってくれたら、作った側としてもとても嬉しいわけで・・・。

逆に大切な人が落ち込んで悲しんでいると、こちらも悲しくなってくることもあります。なんとか元気になってもらおうと、悩みを聞いたり励ましたり、相手が笑顔を取り戻せるように頑張ります。

以上に例えたように、
相手が楽しいと自分も楽しい。
相手が悲しいと自分も悲しい。
これこそが共感能力です。

ところが、世の中にはこの「共感能力」が欠けている人が少なからず存在します。
そういう人たちの思考はこうです。

相手が楽しそうにしていると、なんだか悔しい、憎い。
相手が悲しそうに辛そうにしていると、なんだかとても嬉しい、楽しい。

恐ろしい思考だと思いますが、このような感情を抱く人が確かにいるのです。

「いじめ」は典型的な例ではないでしょうか?
いじめる人間は他人をいたぶり喜びます。罵声を浴びせ、時には暴力をふるい、それにより相手が辛く悲しんでいる姿を見て楽しんでいるのです。そこに「共感能力」は欠片もありません。自分が優位に立ちたいがために、平気で他人を貶めます。

妬みや嫉妬の感情を抱えている人間も「共感能力」を失いつつあります。
自分に持っていないものを持っている人をみると激しく嫉妬するのですが、自分の力では相手に到底かなわないと思い込み努力を怠ります。そうなると自分に出来ることは、相手が苦しみ悩んでいる姿を見て安堵し喜ぶ、もしくは相手を攻撃し批判する、という方法しかなくなってしまうのです。相手より自分が劣っているとの誤った認識から、相手を貶めることにより、自分のほうが上である、との妄想にとらわれているのでしょう。

このような「共感能力」が欠如した人間は、学校にも社会に出ても存在します。
赤の他人ならば、そのような人間とはなるべく関わらないように避けたり無視したり、と逃げ道は少なからずあります。
最悪なのは家庭内にいる場合です。自分の親が「共感能力」の無い人間だということは不幸ながら現実にある話です。自分の子どもが苦しんでいる姿を見て喜ぶ親は、信じられないかもしれませんが、本当にいるのです。この場合、その親の子どもが大人になっていて自立していれば、すっぱりと縁を切るという方法もあります。しかし、子どもがまだ自立出来る年齢ではない場合、大人になるまで逃げ道はありません。もし学生の方で「自分の親はおかしいかもしれない」と疑問を感じていたら、それはおそらく間違いではありません。早めに家を出て自立出来るよう、準備を始めておきましょう。そして学生生活を終えたら、一刻も早く家から親から逃れましょう。

 

共感能力は人と生活していく上でとても大事なものです。
学校生活でも社会生活でも家族関係でも、これが欠けていると周りは不幸にしかなりません。逆に共感能力を備えていれば、人間関係も良好に築きやすいです。自分も周りも幸せになれます。
自分の心の余裕を失い、人に共感できなくなると、どうしても周囲へ反発しがちになり、自分も辛くなります。
自分が幸せになるためにも、常日頃から自分自身を大切にしましょう。そうすることで自分の大切な人のことも幸せに出来るのです。

楽しいことに共感する。
嬉しいことに共感する。
悲しいことに共感し寄り添う。

とてもシンプルにみんなが幸せになれる共感能力。
いつも心がけて大事にしていきたいですね。

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